上級シスアドがなくなるらしい*1

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20080916/170604/
実は上級シスアドを持っている。持ってるんだけど「上級システムアドミニストレータ連絡会」なるものがあったなんて知らなかった。というか連絡をスルーしていただけかもしれない。JSDG大会についてのレポートを発見。楽しそうだ。→2008-09-15 - セキュリティとJAZZとシステム開発の日々
上級シスアドの試験会場風景は独特だった。基本情報処理とかソフトウェア開発だとSEっぽい男性(ここはイメージできる人だけ「あぁ」と言ってもらえれば良いです。「アキバっぽい」とはちょっと違う)が多く、時折女性を見かけるという感じだったけど、上級シスアドは年齢層が高く、40代とかいわゆる「課長」な感じの人が多かったのが印象的だった。20代で女性の私は場所を間違えたみたいだった。そうそう、午後2は小論文で1800字以上だか2400字以上だかを書かないといけなくて、そこで経験を問われるから若い人には難しかったのかもしれない。(そもそも若い人が上級シスアドをあまり志さないというのもあるけど)でも午前はさほど難しくなかったし、午後2は経験と国語力があればいけるし、シスアドってある意味ソフ開より簡単なんだろうなって思った。
ところで上級シスアド

利用者側において、業務の中でどのように情報技術を活用すべきかについて判断するために必要な知識・技能をもち、情報化リーダとして業務改革・改善を推進する者

であることを証明するものらしい。この「いかにしたらシステムが業務に役立つだろう」という視点って(特に業務で使う)システムの開発では、開発者側・ユーザ側を問わず絶対必要だと思うし、逆に言えば「ユーザを総合的に考えられる」ならもう充分上記の定義を満たすと思う。
つまり、上級シスアド(≒利用者側の資格)には「試験対策」はあって「試験勉強」はないと思っている。それはつまり、「免許を取るために車の運転を練習する」のと「充分に車を乗りこなせるので免許をとってそれを証明する」のとの違いで、上級シスアドはその後者に当てはまるものだ。経験と視点を持つものならば充分「上級シスアド」たるわけで、この資格はその経験にシールをペタって貼るだけのものだ。
その効用がどれだけ強いものかは私にはわからない。ユーザ側も高いクオリティかどうかを判断する目を持つ(&それを証明する)ことで開発の現場に緊張感をもたらす、はあるだろう。その結果ユーザを蔑ろにしないシステム開発ができることもあるかもしれないけど、そこに「上級シスアド」はどの程度貢献しているのだろう。(元の文章で言ってる「シスアド魂」はすごくすごく貢献すると思うけど)
いずれにしても、上級シスアドがあろうがなかろうが(そして上級シスアドが「シスアド魂」の存続にどれほど役に立つかちょっと不明ながら)、ユーザ不在のシステムは作らないって視点はものすごく大事。以上。