お菓子とコミュニケーションの話

読売新聞の人生案内に、次のような相談が載りました。

この職場には午前9時と午後3時にお茶の時間があり、それぞれが全員分の高価なお菓子を持参します。
いただいてばかりでは申し訳ないので、私もそれなりに用意していますが、毎日のことなのでうんざりです。個人旅行してもみな必ず職場への土産を買ってきます。何年も前からの習慣らしいのです。みな見えをはっているのでしょう。
http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/gakko/20080928-OYT8T00255.htm

とりあえず、この人の職場残業代が出るのかしら。出るのだとしたら、このお茶の時間について上長はどう思っているのかしら。女性たちがうまくやっていくことは職場の空気のためにも大事だからと黙認しているのかしら。こういう、お茶の時間はコストか、みたいな視点が抜けるのって女性だから*1なのかしらとか考えてしまうのですが、まぁそれは置いておいて。
職場のコミュニケーション、難しいですね。日経BPにも同じような話が載っていました。

うちの職場は外出する人が多いんですけど、しょっちゅう誰かが何かしら買って帰って来るんですよ。しかもみんなお互いの好みを覚えていて、『○○さんが好物だって言ってたから今日はカレーパンを買ってきた』とか。『○○さんが一度食べたいって言っていたあの店のシュークリームを買ってきた』とか。これ職場の雰囲気作りにけっこう貢献してると思うんですよね
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080925/171619/

この話では、上司から部下へのこまめな声かけの話から、やがて「毎回のルーチンワークとしてのお菓子・お土産・プレゼント」ではなく、「人の心が動くのは、自分の期待を上回る現実が起こったときです。つまり「期待<現実」のとき」として、その効果で雰囲気がよくなる、コミュニケーションが適切に取れるようになると話しています。毎回でも常に同じものじゃ効果が無い、ときどきでいいからちょっと違うものを、ということで、人生案内の話と重なってきます。

で、自分の話。上司はすれ違うと声をかけてくれるし、残業していると声をかけてくれる。数年に一回ですがケーキの差し入れもしてくれる。なのに上司が遠い。遠いっていうか、この人私たちのこと見えていないんだなーと思うことがある。見えていないなのか、見ようとしていないなのかは分かりませんが、見てないと感じる。上記のお話的にはやることやっているのに。
一つには、上司の声かけはけっこう的外れ、というのがありました。残業していると、「オイ忙しそうだな」とか言うんだけど、そもそもその無茶な仕事を取ってきたのはあんただよね。とか。「どうしても」と言われて一人東京を離れ福岡の客先に常駐しているとき、メールの一通も来ない。無駄な会議でみんな「こりゃいらんよ」思っているのに、毎週毎週ただただ続けている。そういうことが多くて、積み重なったときに、きっとこの人は形だけやることやっていればOKと思っているんだろうなというのが社員側には蓄積されていく。だから社員が辞めて「なんで!?」とか言うんだろうな。

養老先生じゃないけど、形を真似るのは大事なことで、それが基礎となることもある。けど、なんで形を真似るのかの目的を見失うと、逆に人は離れてしまうという話でした。

*1:女性って、自分も含めて、細かいところはよく気がつくけれど大局で見るのは苦手なイメージがあります