「マスゴミ」という言葉への反応の違和感

先日編集手帳

言論機関の末席に連なる者として「言葉狩り」という非難は聞き捨てにもできないので、一言だけ申し添えておく
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20081001-OYT1T00827.htm

という表現が載ったので、ちょっと思い出したこと。少し前だけど、はてブをけっこう集めたこんな記事があった。
「マスゴミ」と呼ばれ続けて | 日経 xTECH(クロステック)
続・「マスゴミ」と呼ばれ続けて(友人座談会編) | 日経 xTECH(クロステック)
一本目の記事では、「けなされるのは期待の裏返しなんだ」みたいなまとめになっている。二本目は一本目への批評に対するレスという意味で、元々記者を「マスゴミ」と言った友人たちとの座談会。この一本目、二本目に共通して言われているのは、「マスコミは事実だけを伝えていればいいんだ」みたいな内容だったわけですが、もう一つマスコミに大事なことがあると思っています。それは、「様々なものごとをバランスよく伝える」こと。二本目の記事にも「紙面には限界がある」みたいな話が載っていますが、その限界のある紙面なり時間なりの中で、何を伝えるか。*1
ものすごくうろ覚えの話ですが、報道と言う行為が憲法第21条(表現の自由)によって守られるかという論点があったように思います。で、結論は、事実が新聞(または電波)となって人々の手に届くまでの間には、必ず編集と言う行為が入るわけで、編集はやはり「表現」の一つだろうと。そんなわけで、報道は表現の自由によって守られるわけです。で、ここで考える。つまり、報道ってどうしても何らかの意志が編集と言う形で入るんだよね、と。てことは、「事実だけ報道すればいい」ってことは不可能なわけです。絶対恣意的になる。中立って基本的に不可能だと思う。
ならば、せめて、もっとバランスよく伝えてくれ。マスコミは堂々とうそを言うよりも、偏った内容を報道することによって「大きな情報」と「小さな情報」を操作している、そのことのほうが問題だと思う。*2その操作が垣間見えるときに、「だからマスゴミは」って言われるんだと思う。その視点をなくして、反論するのは違和感がある。

上記を書くのに色々見ていて見つけたブログ。みんながこういう自省をつねに忘れずに持っていれば、例え多少権力やら何やらにおもねる事があっても、自浄能力は消えないのだと思う。
「マスゴミ」と呼ばれて。 : ある編集者の気になるノート

*1:個人的には、くだらない番組が何しろ多いので時間的にはまだ余裕があると思う。

*2:ネットの登場によって伝えられない情報へのアクセスもかなり良くなったけど