情報は受け取る側も意識が必要

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20081027/175232/
鋭い批評だ。メディアに対して猛省を促している。本稿は医療という側面から訴えているけれど、医療だけではなく福祉や教育や他のことごとに対しても、メディアは「何を報道するか」だけではなく「報道した影響はどうであったか」を考える必要がある、ということを強く訴えている。メディアを受け取る側の私たちは何をしたらいいだろうということを考えさせられた。(この文章はコメントにも様々な意見が出されており、コメント欄も「いろんな見方」を教えてくれるので一読を薦める)
本稿では、前半で産婦人科の現状などを整理した後、後半でメディアとの関係に言及する。

このような、私たちの日々の暮らしにとても密接に関係する医療問題の本質については、メディアも正しく報道していく必要があると思うのですが、例えば“福島県立大野病院産科医逮捕事件”についての新聞の見出しは、以下のようなものでした。
帝王切開のミスで死亡、医師逮捕 福島の県立病院」(産経新聞
今年出た判決によると、医師側に過失は無く“帝王切開のミス”ではなかったということになります。2006年に逮捕された時点では“帝王切開のミス”の可能性はあったかもしれませんが、この断定的な見出しからするとそれは“誤報”ということになります。
そして、この“誤報”が社会にもたらす大きな影響をメディアは認識していたのでしょうか?
(中略)
医療現場における事故を、個人の責任に帰着させるようなメディアの報道姿勢は確かに“医療ミス”としてスキャンダルが大好きな読者、視聴者の関心を煽るには効果的かもしれません。“悪徳医師を断罪する正義の味方”になりたがるのが、日本のメディアの本質でもあります。

ここまで言い切る論調がメディアに載ることそのものがすごいのかもしれない。このようにメディアをばっさり斬った上で、

ワイドショーでスキャンダラスに騒ぎ立てるのでななく、“事件の本質は何だったのか? その事件が起こった背景は何だったのか?”をつき詰めて、正しい情報を提供していくことこそが、メディアの役割として重要なのです。

と訴える。本稿はメディアに対する医療現場の苦しみという点で(多分書いた人相当その苦しみを感じているように思われる)リアルで悲痛でさえある。

結局スキャンダラスに報じて視聴率が取れればメディアは喜ぶ、ならばスキャンダラスな報道を喜ぶ私たち視聴者に一つの原因があるのだろう。話が下世話であるほど売れる雑誌があるように。情報はただ受け取るのではなくて、他の見方などをきちんと勘案して受け取らなければ、溢れたメディアのために情報が枯渇するという世の中が来てしまう。