しょーがないこと

なんだかホッテントリがつまらん。日本語をどうだのこうだの言ったって、変わるものは変わるし、変わらないものは変わらない。高らかな(けれど生活をそれほど困らせない…もしくは、それに従うことが苦痛な)「こうあるべき」「こう意識すべき」によって人はあまり意識を変えない。言葉はその意識なり無意識なりの結果としてあるものなのだから、なるようにしかならないのではないか、というのが個人的な感想。

なんでこんな殺伐としたことを言うかと言うと、goo相談箱でこんなエントリを読んだからなのだ。
もう一度 嫁を好きになりたい -結婚して10数年 嫁を空気のような存在- その他(結婚) | 教えて!goo
古女房に恋したい、なんていうならまず「古女房」を直せよ、と思うのだがそれはまあいいとして、このNo.12の回答が秀逸。これを読んでいたら、妻は夫に対して諦めてしまうし、もしかしたら憎しみすら抱くかもしれないし、それを見て夫が妻を諦めるのも致し方ないと思った。分かりやすい。実に分かりやすい。長いけど読みやすいのでおススメ。
で、この回答は色々含んでいるんだけど、とりあえず本エントリの文脈で引くとすれば、

よく聞くセリフで「子供を産むと女は強くなる」「産後は女房を女と思えない」「産後はセックスレスになる夫婦が多い」など・・・
出産前、「主人の世話」だけ甲斐甲斐しくしてれば済んでた頃にそんな事を聞くにつけ、「悲惨だなぁ・・・(-_-)そうはなりたくないしそんな夫婦もいるんだなぁ・・・」など、まるで他人事か悪妻かのように思ってました。
しかし現在、なぜ良く聞く話か理解しました。自然の流れとすら思います。「子育て」というものが予想以上に「妻」への負担が大きいと実感したからです。

(引用者側で改行を一部削除しました)
結局自分が困らなきゃ分からない。私だって今のほほんとしてるけど、困るようになったらのんきなこと言ってられないだろう。だから(夫は自分は子育てに「参加」するだけだから:主体者じゃないから)子育てをしている人の気持ちは理解できないし、自分の思いだけで行ってしまうのだろうな、という殺伐とした話。だってこの回答に対する質問者の回答がもうどーしょもないじゃないか。

で、日本語にどうつながるかと言うと、どんなに「こうすべき」って言ったって、極論したら「正しい日本語が使えなければ生活できない(or買い物できない、働けない、遊べない、etc)」まで行かないと、どうにもならないんじゃないのってこと。

ちなみに上記、出産後の女性は脳みその構造が変わるのだそうです。別人、しょうがないよ。
http://diamond.jp/series/mf_rules/10011/