アラサーとアラフォーの間で

http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20090107/182048/
35歳くらいの人の悩み、という記事。

 私たちが最初に入社したのは元大手証券会社で、1990年代後半に倒産に追い込まれた。女性社員のほとんどは一般職採用で、総合職採用は2%くらいだったように思う。つまり会社が倒産した後の転職活動で、私たちの多くは、キャリアが一般職以外の何物でもなく、そこから総合職や専門職に就くのは、極めて困難な状況だった。

こういう人たちが同期会を開いたら、集まった人は専業主婦になっている人か、結婚せずに仕事を続けている人のどちらかしかいなくて、結婚後も子供を育てながら仕事をしている、という人がいなかったのだそうだ。そのことへの違和感と、「結婚せずに仕事を続けている人たち」の不安感、将来へのがんばりが不安の解消につながっていないという記事。
この記事の中で一番気になった文章が、これ。

 しかし彼女たちはこれまで、現実を受け入れて黙々とまじめに働いてきた。自己実現とか、やりたい仕事を楽しんで働くなどという贅沢は許されなかった。
 だが、時代は変わったのだ。その後情勢も変わり、転職も一般化してきた。女性でも、自分探しをしていい時代になったのだ。

仕事を選べるというのは幸せなことだ。自分にあった仕事ができるということはきっととても幸せなことだ。たとえば私はどうしようもなく接客ができないので、接客を無理やりやることもなく、しかもけっこう自分に合っていそうな仕事ができているという幸せである。何気ないけどうれしい。今という時代に感謝しないといけないんだなと思ったり。
そういうことを考えていると、今はやりの派遣村の記事を思い出した。読売に載っていた、派遣村の人たちが仕事を選んでしまうという記事。人は余る、仕事はあまる、マッチングできない、ということ。これについて父と話した。父は工場勤務の正社員だが、父は「派遣で来ている優秀な人に、正社員にならないかと誘ったら、いろいろと制約が出てきてしまうので嫌だと断られた。結果としてうちの会社は人が足りないという事態で困った。派遣の人は自分の選択で派遣社員になったのだからアレコレ言ってもねぇ。」という。もちろんこれが全てではないけれど、こういう人を目の前で見てしまった父は「自己責任」論者である。
自己責任をプラス方向で考える。どうして私は仕事が選べるという幸せな経験ができたのか。そんなに努力したっけ、自分。この辺が整理できるまでは私は偉そうに派遣村の人を批判できないと思う。