メモ

http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081006/172766/
気になる。大事なことはここだと思う。

〈男が女に飲み込まれないためには、女を支配するしかない。これは大きな男に庇護されたい女の欲求と、一見マッチしているようだが、男にとっての女は他者=対象物であり、人間同士の愛情に満ちた交換は姿を消す〉
 支配とは特別なものではなく、「そんな胸の開いた服を着るな」「他の男に媚びるな」といったもので、支配のトーンに聞こえない所有欲や嫉妬の物言いとして、親密なカップル間の会話でふつうに聞かれるもするだろう。
 絶対者を求めながら、そのことに不安で安住せず、いろいろな女性を自己確認のために求める。彼女の見聞してきた事実が指し示すのは、男の欲望の向かう先である女性とは、男が自己確認できるという欲望にかなえば「誰でもいい」ということでしかない。
(中略)
もはや、セックスや恋愛、結婚に関する絶対的な規範は潰えつつあり、ならば、それらとの距離感で自分の行動を決定するしかないようだ。
 正しい恋愛、セックス、結婚といった真っ当なものがあると考え、自分の行動を決めようとしても正解がない。だから何かの考えの虜になる必要は本当はなく、「何のために私は恋愛やセックス、結婚をするのか?」と改めて問うていくしかない。


もう一つメモ。こちらは「働く」ことそのものを文学が扱ったらどうなるかという連載の第一回目。今後に期待。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080925/171669/

「そうなの、仕事も恋も捨てられない!!あたしも頑張って輝きたい!!」
 とか思ってるうちに、金はある、家庭もある、キャリアもある、でも「なにか」が搾取されてボロボロになっているという気持ち悪さ。

ここがぴんと来ない。その内容を今後拾って言ってくれるのだとしたらそれはかなり見てみたい。

こどもとケータイ

まだ私には子供はいないけど(というか結婚すらしていないけど)新聞紙上で子供と携帯の関連性に関する記事を読んでいると、色々考える。基本的には、子供に携帯なんて持たせるもんじゃないと思う。自分で料金払うようになってから持て、という発想。携帯の向うに広がる広い広い情報の海におぼれるだろうというのも思うし。おぼれるには今の携帯は高機能すぎて先が怖い。でも、今の世の中、携帯を持ってないとみんなの話の輪に入れないということもあるようで・・

同級生(15)によれば、クラスの3分の1近くはプロフを持っているという。「それで事件に巻き込まれるなんて」と顔を曇らせるが、自身のプロフはやめられない。「だって、いろんな情報があって面白いもの」
http://www.yomiuri.co.jp/national/oya/

娘には携帯を渡している
(中学2年だが)
そりゃあ賛否があるが、友人とのコミュニケーションの道具だ
無くて、村八分にされたら可哀相だろうと思って
◆◇◆携帯は中学生には必要だと思いますか??意見ください。中3女子です。最近 ... - Yahoo!知恵袋

部活動とかの連絡ツールになっているところもあったりするみたいだし、要するに何だ、子供の頃の「昨日のドラマ云々」のすごい版みたいな話?この手の話は読めば読むほど気持ち悪くなってきて、(だって子供はカモにしやすさと商品性の高さが抜群なのだから当たり前か)吐き気がしてくる。となると持たせたくない、けど持たせないといじめられる状況じゃ・・・
要するに寂しいんだよなぁと思う。繋がっていたいが強迫観念になって相手に繋がることを強制する。むしろ携帯なんて持ってないほうが寂しさって感じないんじゃないか?と思う。ま、その強さを子供に求めるのはかわいそうか。
大事なことはちゃんと判断できるってことだけど、それを発展途上の子にやらすのは無茶だよな。
ちなみにPCのほうはどうかというと、こちらは親子が使い方を学びつつある様子。

こうした状況の中、家庭における子どものインターネット利用については、2007年実施の調査と比べると「週に2時間」を境に利用が減少傾向にあることが明らかになりました。利用目的も「ネットサーフィン」は減少し、「ゲーム」や「検索(勉強や宿題のため)」は増加していることから、漠然とインターネットを利用するケースよりも、何か目的をもって効率的にインターネットを利用しているケースが増えてきていることが推測されます。
パソコンのインターネット利用についてはルール設定のみでとどまっている家庭が多いのに対し、携帯電話利用に関してはルールのみにとどまらず、実際にサービス制限などの利用制限機能を導入している家庭が多いという結果となりました。また、子どもからインターネット利用に伴うトラブルの相談を受けた場合に備え、普段から何らかの対策を行っている家庭と何も行っていない家庭との割合は半々に二分されました。特筆すべきは、約15%の保護者が「的確な対応を子どもにアドバイスできるかあまり自信がない」と回答していることで、昨今の子どもに対する事件やトラブルについて保護者も対応策に苦慮している様子が浮き彫りになる結果となりました。
http://www.mri.co.jp/PRESS/2008/pr081003_mcu01.html

携帯もPCもツールなのだから、それ自体を禁止することはないと思う。でも判断の未発達な子に対しては管理者が「携帯はよく分からないし」とか言わずにちゃんと見張ること、そのためのツールの整備が急がれる。
なんか一般的な結論。だって色々思う割りに自分なりの答えがまだ見つからないのだ。というか、そんなこと心配する前にそもそも子供を持つにいたることができるかを心配しないといけない気がする。

洗脳

法話を聞いてきました。
宗教ってすごいな、と思うのは、その建物に入るまでの抵抗とは裏腹に、建物自体も、中で聞く話も、中にいる人も驚くほど特殊ってわけじゃないところ。ちょっとぼーっとしてる人なら、簡単に取り込まれると思う。
だから、書いておく。宗教の何が怖いか。ある日私も「伝道師」になるかもしれないから、書いておく。
宗教の怖いところは、自分で判断ができなくなるところだと思う。自己批判精神がなくなるところだと思う。色んな見識を知って、それと照らして自分はどうか、ということを自分で考えることができなくなるところだと思う。まずはやってみて物事を知るということのまえに、「でも宗教的にそれはNGだから」ということが怖いのだと思う。それをさらに進むと、例えば宗教上ある本は「悪魔的」か何かの理由でイマイチと言うことにされている場合、「でもうちではそれ読んじゃダメだし」を過ぎて、「別に禁止されてはいないけど、読む気にならない」ところまで行っちゃうのが怖いと思う。私がそうならない保証なんてどこにもない。私だけじゃなくて、あなたも、だけど。
行く前に散々悩んで、聞くだけ聞いて、そして帰り道、「良くがんばったね」的にすごくいい子いい子される。すごく楽しい気持ちにさせてもらえる(それは宗教的にじゃなくて、単純に宿題を片付けたらお母さんがデパートに連れて行ってくれたみたいな感じ)。だから、行くことに関しての嫌な気持ちとかもやもやした気持ちが、その後の楽しいことで帳消しにされたような気持ちになる。次回以降への抵抗は減って、どんどん取り込まれていくかもしれない。

怖い。こわい。今の自分からは、ありえない世界に、でも、喜んで飛び込んでしまいそうで怖い。

「マスゴミ」という言葉への反応の違和感

先日編集手帳

言論機関の末席に連なる者として「言葉狩り」という非難は聞き捨てにもできないので、一言だけ申し添えておく
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20081001-OYT1T00827.htm

という表現が載ったので、ちょっと思い出したこと。少し前だけど、はてブをけっこう集めたこんな記事があった。
「マスゴミ」と呼ばれ続けて | 日経 xTECH(クロステック)
続・「マスゴミ」と呼ばれ続けて(友人座談会編) | 日経 xTECH(クロステック)
一本目の記事では、「けなされるのは期待の裏返しなんだ」みたいなまとめになっている。二本目は一本目への批評に対するレスという意味で、元々記者を「マスゴミ」と言った友人たちとの座談会。この一本目、二本目に共通して言われているのは、「マスコミは事実だけを伝えていればいいんだ」みたいな内容だったわけですが、もう一つマスコミに大事なことがあると思っています。それは、「様々なものごとをバランスよく伝える」こと。二本目の記事にも「紙面には限界がある」みたいな話が載っていますが、その限界のある紙面なり時間なりの中で、何を伝えるか。*1
ものすごくうろ覚えの話ですが、報道と言う行為が憲法第21条(表現の自由)によって守られるかという論点があったように思います。で、結論は、事実が新聞(または電波)となって人々の手に届くまでの間には、必ず編集と言う行為が入るわけで、編集はやはり「表現」の一つだろうと。そんなわけで、報道は表現の自由によって守られるわけです。で、ここで考える。つまり、報道ってどうしても何らかの意志が編集と言う形で入るんだよね、と。てことは、「事実だけ報道すればいい」ってことは不可能なわけです。絶対恣意的になる。中立って基本的に不可能だと思う。
ならば、せめて、もっとバランスよく伝えてくれ。マスコミは堂々とうそを言うよりも、偏った内容を報道することによって「大きな情報」と「小さな情報」を操作している、そのことのほうが問題だと思う。*2その操作が垣間見えるときに、「だからマスゴミは」って言われるんだと思う。その視点をなくして、反論するのは違和感がある。

上記を書くのに色々見ていて見つけたブログ。みんながこういう自省をつねに忘れずに持っていれば、例え多少権力やら何やらにおもねる事があっても、自浄能力は消えないのだと思う。
「マスゴミ」と呼ばれて。 : ある編集者の気になるノート

*1:個人的には、くだらない番組が何しろ多いので時間的にはまだ余裕があると思う。

*2:ネットの登場によって伝えられない情報へのアクセスもかなり良くなったけど

謎の生き物

http://ranking.goo.ne.jp/ranking/017/mystery_action_female/
そもそも論、男女は遺伝子がもう違うんだし、互いが理解できるとは思っていないわけだが、このランキングはけっこう面白かった。何がというと、上位にあるものほど、「あるある!」って感じだったからだ。具体的には、1位〜10位で、私に当てはまるなぁと思うのが7つ。11位〜20位では5つ、21位〜30位では2つまで落ちる。けっこうきれいに減っていったので今数えて「うそっ」って思ったくらいだ。ここから、私一人をサンプルに考えると、男子にとって謎なものほど女子にとって「あるある」になるってことになる。
具体的な中身を見てみよう。
個人的な話になるが、特に当てはまる!って思ったのが、

  • 必要以上にやせたがる(1位)

そうですねぇ、フヒヒ、サーセンw別に自分が太ってるとは思わない。ていうか、これ以上やせたら健康診断で★が付く。でもなんとなく痩せようとする。体重計に乗ってちょっと少ないと喜ぶ。別に食べ物を我慢しなくても健康的にも問題は無いのに、我慢しようとする。その情熱はどこに向かっているのだろう?それは私も分からない、でも、とにかく、痩せておきたい。女子自身に分からないんだから男子には絶対に分からない気がする。まぁわかる必要も無いか。

  • 話題が飛躍する(12位)

するする。というか、男女ともにこういう人がいる。これは女子に限らない気がする。

  • ランチ用の小さいかばんを持つ(18位)

なんでこれが理解できないのかわからない。男性と違って女性の服にはポケットが極端に少ないので、お財布と、私用の携帯と会社用の携帯とハンカチなんて持ったら傘なんてもう持てない。持ててもドアが開けられない。となれば小さいかばんほしいよ。会社用のかばんだと不要なものを出さなければならないので却下だし。とかって言っても男子には分からないのかもしれないなぁ。
ちなみに逆パターンの場合。
http://ranking.goo.ne.jp/ranking/017/mystery_action_male/
基本的に「あぁ、あるなぁ、私はやらないけどまぁ理解できなくもない」という感じなのだが、どうしても許せないものの一つに、

  • 相談すると、解決案をいいたがる(22位)

がある。ちなみに、道端につばを吐く(1位)は問題外。これやられたら無理。くだらないものにお金を使う(2位)はお互い様なのだろう。とにかく許せないのは上記だ。私が求めているのは解決策や批評じゃないのに。ただ聞いてもらいたいだけだったりするのに。でもこれってよく見かけるので、多分一般化できる話なのだと思う。リンク先はうまいことを言う、「求めてるものが根本的に違うのだ」と。なるへそ。そこはお互いに知っておいたほうが無難なのだろうなーなどと思う。

引用する

それで、上記のエントリを書いているときに回答者の方が気になっていろいろ調べていた。で、人生案内関連のエントリがけっこうあるんで見ていたけれど、全文引用してる方って少なくないのね。でも、全文引用されてしまうと、次の二つの点で不都合なのではないかと思うのです。

  1. ポイントとなる個所が一部だった場合は、適切に引用しないとこちらがわの文章がまとまらない
  2. 全文を引用すると、原文を見に行くことはなくなってしまうので、原文側には不利益なのでは?

(1)については、まぁ、自分のブログだから全文引用で形が崩れようが知ったことではないけれど、それだと読む側は疲れますよねー、ってことで、原文のうちどこに注目してほしいのか、どこに自分がいま突っかかっているのかという意味でも適切な引用って必要ですね。と思う。まぁこれは引用する側の話なので、けっこうちゃんと行われていることが多い。(私のブログに関して言うと、誤解の無い様追記したりすることはあるけれど、できる限り少なく少なく引用している。読む方には不便かもしれないが、私としてはできる限り原文を当たってほしいのだ。
(2)について、この辺が今日のお話のポイント。クリエイティブコモンズとかwikipedia著作権とかいろいろあって、wikipediaなんかは内容を他のURLがごっそり表記することも許可しているっぽいけど、*1そうじゃない場合。例えば人生案内、例えばNBオンライン。著作権的な話も勿論あるけど、もう一ついつも考えるのは、「考えるきっかけをくれた元ネタには感謝を、そして元ネタ側がそのサイトを訪れることを良しとするのであれば是非とも元ネタに当たっていただくということを」。特にNBオンラインはログインしないと読めない文章があるわけで、そこに在る文章をコピペするのはどうなんだろう、といつも悩むのである。

参考URL
ブログ上でリンクを張る際のルール -こんにちは。よくブログで新聞記事- インターネット広告・アフィリエイト | 教えて!goo
http://www.cric.or.jp/qa/multimedia/multi14_qa.html

余談。
この話で電子辞書を思い出した。電子辞書って検索した単語だけピッと出てくるけど、そのまわりに目を向けることが無くなる。紙の辞書だとお隣の単語もなんとなく眺めたりして楽しいんだけど。別にどっちがいいって話じゃなく、電子辞書って現代的ですよねって話。引用した話だけが無駄なく読めるのはいいけれど、特に人生案内なんかの場合、お隣にまさに自分が悩んでいることと同じような悩みが載ってたりして楽しいです。

*1:それでPVを稼いでいる人もいて、まぁ、いいんじゃないって思うが

丁寧に生きる

今日も読売新聞の人生案内から。今日は非モテのお話です。20歳前半の女子が、「色気を感じない」といわれて悩んでいる話。これは回答が秀逸なので、是非とも原文で読んでいただきたい。
http://www.yomiuri.co.jp/jinsei/shinshin/20080930-OYT8T00211.htm

20歳代前半のあなた、悩みつつも投げないで丁寧に生きて下さい。

はい、すみません。ってもう私は20代後半だが、そんな気持ちになった。今考えると20代前半、特に社会人になってからの数年間はなんというか、投げて生きていたような気がする。*1まぁ、基本的にそのときそのときを精一杯すごしていたことには変わりは無いので、別に後悔すると言うこともないけれど、まぁ、わが身振り返っちゃったみたいな感じです。

*1:こうやって振り返るのは歳をとった証拠かもしれない