男女の話

http://diamond.jp/series/mf_rules/10027/
ダイヤモンドオンラインの「働く男女の取り扱い説明書」より。久しぶりに男性に好意的な目線でのこういう記事を読んだ気がする。「結婚できないのは男のせい」という文書が多くて、(私は一応女子だけど)辟易していた。という中でのこの記事。要するに、女性は安定した生活を望む…妻としても、女としても。でも、男性は夫として安定した生活を望みつつも男として冒険することも望む気持ちがある、という話。締めの言葉がいい。

 これに比べ戦後、女性の立場は専業主婦からバリキャリのシングルウーマンまで、多様に広がった。男性ももう少し自由に生きていいはずだ。「3割余りの時代」になれば、人生の選択の幅ももっと広がるだろう。

【おわりに】
 これまでこの連載では、おもに女性の持つ謎について、脳の性差という面から紹介してきた。だが、男性が女性を理解するのと同様に、女性もまた男性の「生きづらさ」を理解する必要がある。

 お互いをもっとよく知り、その幸せについて考えてみよう。そうすれば家庭で、職場で、今までとは違う新しいパートナーシップが生まれるかもしれない。

ちなみに次回からは「婚活」シリーズが始まるらしい。それはそれで楽しみだ。

離婚の序章を読んで

もともとは増田にあったエントリ。
とある夫婦の離婚序章
いろいろいろいろ考えさせられたわけだが。
何を一番思ったって、これ、自分だったらどうなるだろう。今の彼氏ともし結婚するにいたったとして、そうしたら、彼はどうするだろう。奴もこういう感じになるんじゃないかな、そして私もこういう感じになるんじゃないかな。現時点で彼のほうが年収は上だから、イコールとはならないと思うけれど、お互いに自分の仕事も自分の趣味も大事に大事に思うタイプなので(そして基本的にそれらは優先されているので)我慢して仕事を切り上げたり趣味に行かなかったり、ということがすごいストレスになりそうだ。
ありがたいことに今フレックスの会社に勤めているけれど、プロジェクトにアサインされれば9時ー5時なんて働き方は無理になるかもしれない。そのとき、私は、やっぱり彼女のように爆発してしまう気がしてならない。

で、この増田関連で一番共感したのが次のエントリ。
http://d.hatena.ne.jp/pollyanna/20090115/p1

いちばん大変なのは、常に他人(子供、パートナー)のペースに合わせて生活していること、なんだと思う。

これなんだよね。誰かが、「男だって一人暮らしするから家事の大変さは分かってる」みたいなこと言ってたけど、一人暮らしなら自分のペースで家事をすればいい。遅くなったら外食すればいい。けど、家族を持って、その家事に責任を持ったら、そういうことも言っていられなくなる。そもそも遅くなることが(子供がいれば)できないだろうし、遅くなってもご飯を作らなきゃいけない。これは、何気ないようでものすごくストレスがたまることだ。(マイペースB型気質の私には耐えられないかもしれない。大丈夫だろうか。)

同じく共感したエントリがこちら。
家事と「グーグルの検索」が似てる件 - michikaifu’s diary

主婦が晩ご飯にカレーライスを作って、子供を含む家族がそろってテーブルについて食事するという、何気ない日常の風景の裏には、これと似たような、ものすごいデータの蓄積と、気が遠くなるような情報の断片の収集と、それを一気に短時間で処理するアルゴリズムが動いている。冷蔵庫にある材料の在庫は何か、じゃがいもがないから帰りに買っていかなきゃ、子供の好き嫌いや今日の給食で食べたものは何か、誰かはアレルギーがあるからこれはダメ、自分の仕事が締め切り前だから本当はマクドナルドのテイクアウトで済ませたいけどそれでは亭主が文句を言うだろう、上の子が塾から帰ってくる時間と下のチビがお腹すく時間とのかね合わせからいって夕食はこの時間しかない、その時間に完成しているためには自分は何時から準備を始めなきゃいけない、そのためには仕事をこうやって段取りしてその時間までに自分の手をあけておかないと、子供の送り迎えの時間と重なるのでそれはベビーシッターに頼んで、今日は何時から子供の好きなテレビがあるから宿題は食事前にやらせなきゃ、自分は調理している時間だから両方をいっぺんにやらなきゃ・・・・などなど、膨大な小さな情報の断片を拾って最適化するアルゴリズムが主婦の頭の中では動いている。この作業は大変なエネルギーが必要で、間違った判断をすると、子供や亭主というスーパークレーマーからすぐに文句が出る、というストレスの多い仕事だ。

長くなるけど引用した。それは、全部引用しないとこの「膨大な処理」のイメージは付かないと思ったからだ。家事に限らず私達はこういう処理をしていて、これが自分のキャパシティを超えるとわーってなってしまう。最近、母親が「夕飯のメニューを決めてくれるだけで嬉しい」というのは、その処理がかなり省けるからだと思う。なので苦し紛れにも何か必ず言うようにしている。

お互いがお互いの後ろにあるものを理解してコミュニケーションをとるだけで、いろんなことがいっぱい変わってくる。「言いたいことは言えばいい」とか(すでにこれが苦手なわけだが)言うだけじゃなくて、ちゃんと伝える努力と読み取る努力をしなきゃなぁーーーーーと(できていないことも含めて)心から思う。

はてなブックマーク的な

はてぶが実は苦手。苦手っていうか、ホッテントリとかは活用しているんだけど、いざ自分が使うとなるととたんに苦手。どうやって活用していいのかよくわかんない。なので結果としてはてなダイアリを使って心に残ったリンクを残している。はてなーの方にはやけトラックバックを打っていてすみません。
そんな今日のエントリはこの二つ。
http://d.hatena.ne.jp/umikaze/20090112/p1
これは重い。そして非常に納得感のある文章。ぜひとも全文をじっくりと読んでもらいたいもの。わかりやすくまとめると(引用の引用になってしまったけれど)

強者に対してはやけにしおらしい弱者。「残業なんてしたくねえよ!」って言ってる、珍しく強者に対して刃向かってる弱者がいても、不思議な事に弱者がそれを片づけてくれる。「何いってんだ、そのくらいしょうがねえだろ、人生ってそういうもんだろ」「思い通りいかないのが人生なんだよ。大人になれよ」と弱者が弱者に我慢するように言う。

強者、ウハウハ。

これをもっと理論的に説明して、かつ、先への提言がある。次の文章に共感する人は、絶対読んでおいた方がいい。

パンクしそうになるくらいの負担の中で「せっかく正社員になったのに、サビ残ばっかでストレス溜まるし寝る暇もねえ。バブル期入社の連中は使えねえし、ゆとりはバカだしムカツク」という思いを抱いている連中も多いのではないだろうか。自分が膨大な時間をかけて努力をしてきたという自負もあるだろう。この努力が報われたいと思う気持ちもあるだろう。


もうひとつのリンクはこちら。
http://rikunabi-next.yahoo.co.jp/proron/0848/proron_0848.html?vos=nynmyajt1830100200
共感した箇所、大事だと感じた箇所を引用する。意味がつながってない可能性があるので原文に当たることをお勧めする。

大事なのはメリハリなんですよ。最初に強い情熱を持てるかどうか。対象に向かってドーンと一気に情熱を高めていく。情熱がおさまった後も、興味は静かに続いていきます。これが何かをやり続ける原動力になるんです。何かを成し遂げたいなら、自分の中でバブルを起こさないとダメということなんですよ。

ひらめいた瞬間の情熱は下がり水平飛行になっても、ずっと残像は自分の中にある。だからこそ、今でも研究を続けられるんです。

バブルを起こすことには、もうひとつメリットがあります。それは、「次に行ける」ということです。

若い人には、瞬時で判断できる人になって欲しい。そのために必要なのが、「自分自身の基準」を持つことです。
(中略)
他人の意見ではなく、自分がどうしたいのかを知るということ。これができることが、一流になる条件なのです。

これはもう、普段から常に実践するしかないんですね。何か新しいことを思いついたとき、自分がそのアイディアに対してどう感じているのか。これを瞬時に察知する。面白くないと思ったらやめればいいし、いけると思ったら、突き進めばいい。これを繰り返すことで、自分の価値基準が出来上がっていくんです。

そして最後がすごい。

若い人は安定を求めたがるけど、今の時代、変われる事が安定なんです。そのためには軸となるものが必要となります。それが自分の価値基準なんですね。自分にとって大切なものが守れるならば、ほかは妥協しても構わない。

変われることが安定ということは、発見だった。だけど、確かにそうだ。変わることを怖がらない、そのために変えちゃいけないことを定義しよう。

アラサーとアラフォーの間で

http://business.nikkeibp.co.jp/article/skillup/20090107/182048/
35歳くらいの人の悩み、という記事。

 私たちが最初に入社したのは元大手証券会社で、1990年代後半に倒産に追い込まれた。女性社員のほとんどは一般職採用で、総合職採用は2%くらいだったように思う。つまり会社が倒産した後の転職活動で、私たちの多くは、キャリアが一般職以外の何物でもなく、そこから総合職や専門職に就くのは、極めて困難な状況だった。

こういう人たちが同期会を開いたら、集まった人は専業主婦になっている人か、結婚せずに仕事を続けている人のどちらかしかいなくて、結婚後も子供を育てながら仕事をしている、という人がいなかったのだそうだ。そのことへの違和感と、「結婚せずに仕事を続けている人たち」の不安感、将来へのがんばりが不安の解消につながっていないという記事。
この記事の中で一番気になった文章が、これ。

 しかし彼女たちはこれまで、現実を受け入れて黙々とまじめに働いてきた。自己実現とか、やりたい仕事を楽しんで働くなどという贅沢は許されなかった。
 だが、時代は変わったのだ。その後情勢も変わり、転職も一般化してきた。女性でも、自分探しをしていい時代になったのだ。

仕事を選べるというのは幸せなことだ。自分にあった仕事ができるということはきっととても幸せなことだ。たとえば私はどうしようもなく接客ができないので、接客を無理やりやることもなく、しかもけっこう自分に合っていそうな仕事ができているという幸せである。何気ないけどうれしい。今という時代に感謝しないといけないんだなと思ったり。
そういうことを考えていると、今はやりの派遣村の記事を思い出した。読売に載っていた、派遣村の人たちが仕事を選んでしまうという記事。人は余る、仕事はあまる、マッチングできない、ということ。これについて父と話した。父は工場勤務の正社員だが、父は「派遣で来ている優秀な人に、正社員にならないかと誘ったら、いろいろと制約が出てきてしまうので嫌だと断られた。結果としてうちの会社は人が足りないという事態で困った。派遣の人は自分の選択で派遣社員になったのだからアレコレ言ってもねぇ。」という。もちろんこれが全てではないけれど、こういう人を目の前で見てしまった父は「自己責任」論者である。
自己責任をプラス方向で考える。どうして私は仕事が選べるという幸せな経験ができたのか。そんなに努力したっけ、自分。この辺が整理できるまでは私は偉そうに派遣村の人を批判できないと思う。

呼び名 ーノーベル賞受賞者とオケの先生

昨日NHKノーベル賞に関するテレビをやっていた。スタジオには小林・益川両博士のほかに司会者、タレント、学生が座っていた。また、VTRで南部博士と下村博士も出演された。
スタジオに居る人から下村博士へのQというコーナーでは、

  • 努力しているつもりなのですがうまくいきません。どうしたらいいでしょう。 という質問に対し、
  • それは努力が足りないのでしょう。

と一刀両断されるすばらしさだった。(この後の「独創的な実験を行うコツを教えてください」というQに対し「これはずるいですね」と仰りながら「あらゆる方法を試し、うまくいったものが独創的なのです」という回答をされたのも素晴らしかった。)
というTVの翌日の本日。NBOnlineにこんな記事が載っていた。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20081226/181406/?P=1
これを読むと、今回のノーベル賞受賞者の素晴らしさがよく分かる。テレビを見ていても、それぞれにユーモアがあり、両親ともに「今回の人たちはいいねぇ、好きになるねぇ」と話していたが、NBOnlineの記事を読んでさらに好きになった。長いけれど読みやすい文章なので一読されることをお勧めする。

さて、昨日テレビをみていて気になったのだけど、NHKの人たちはノーベル賞受賞者の方々をそれぞれ「〜さん」と呼んでいた。それに対し、受賞者の方々は互いを「〜先生」と呼んでいた。NHKの人たちになんとなーく違和感を覚えたけれど、これはこれでノーベル賞を身近に感じさせるNHKの演出だったのかもしれない。
私はオーケストラに入ってそろそろ3年だか4年だかになる。初めて見学に行った時、オケの人たちが指揮者を「〜先生」と呼んでいるのに違和感を覚えた。たとえば大友直人なら「大友先生」、でもそのときの私にとっての大友直人は「大友さん」だった。
けれど、オケを続けていて(周りがみんな「〜先生」と呼ぶこともあると思うが)それぞれの指揮者はやはりそれぞれにすごい、先達であり、先生であることをしみじみ感じると、もう「〜先生」でないことのほうに違和感を感じるようになった。どんだけ酔っ払って女子を口説こうと、先生は先生である。けど、母なんかはやっぱり「〜さん」と呼んでいる。
益川・小林両博士にとってはやはり南部博士は「南部先生」だったのであろう。それが感覚としてよくわかった。

ものっそい久しぶりエントリー。
忙しくなるとはてなダイアリーも、はてなトップも、はてなブックマークも、(それどころかgoogle readerの各種記事も)まったく読まなくなるのだと知った。余裕の無かった秋から年末。

久しぶりに暇になったのではてなダイアリーを書く。今日はこんなURLをご紹介。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/nba/20081225/181361/
これはねぇ。なんともねぇ。かんともねぇ。なんとも言えず軽い。その軽さはたぶん内容が薄く広くになってしまっている(=カバー範囲が広いというフォローも可能かと思う)ことと関係している。いろんなことをひとつの記事に盛り込もうとしたために(たぶんデータに裏づけされたことが)一言で書かれるにとどまり、結果、すべて独断と決め付けによって書かれているように思えてしまう。たとえば以下のようなくだり。

  • 独身者にとって、第一の問題は結婚である。
  • 例えば、結婚紹介所に登録する場合、30代後半になると、たとえ美人で高収入の人でも、良い男性が見つからないことが多い。男性は出産年齢を意識して、より若い女性を求める傾向がある。
  • 男性の場合、妻が専業主婦であれば、育児の大半を任せることも可能だ。それでも最近は男性も全く育児にかかわらないわけにはいかないため、理想的にはキャリアが軌道に乗ってからがよさそうだ。
  • いざ、子供が欲しくなっても、なかなかできない可能性がある。

上記の表現は、全て根拠が示されないままに出てきている文章だ。この文章自体は「結婚も面倒がっていないで計画的に動いていかないとだめだよ。結婚によるメリットはあるよ」みたいなことを言っていて、それ自体は賛成なんだけど、こう書かれてしまうと反発が募ってしまうなぁ。

こういう感想を持ったのは、
久米宏は幾つになっても久米宏だ - ohnosakiko’s blog
年始にこれを読んでいたく同意したのが影響しているのかも。みんなそれぞれにがんばっているので、アソシエの文章がもっている「上から目線」感に反発したような気もする。

男女のモチベーションの話

以前、会社でこんな話をしたことがある。
私「石川さん(仮名・嫌な上司)がこないだシュークリーム差し入れてくれたよ」
林(仮名・男性)「ふーん、よかったじゃない」
私「うん、おいしかったよ」
林「石川さんも必死だな」
私「何が?」
林「女性陣の人気取りにだよ。君は特に偉くなりたいとかないでしょう」
私「うーん。まぁ、確かに偉くなりたいって気持ちはないし、給料もまぁいっか、って思ってるよ」
林「あの職場にいる女性はみんなそんな感じだよね。だから、石川さんは女性陣のモチベーションを上げたり、みんなから人望を集めたりするのにどうしていいかわからないんだ」
私「・・・うーん?」
林「給料を上げてあげる、とか、エライ仕事に就かせてあげる、で男性はがんばるけどさ、女性はそうじゃないから、シュークリーム差し入れて人気取りとかしてみるんだよ」
私「ふーん」
この話に近い話がダイヤモンドに載っていた。
http://diamond.jp/series/mf_rules/10017/
女性のモチベーションを上げるのに言葉一つで足りるなんてお手軽な話だが、そこに気が回らない男性は多いということなのだろう。男性は求めているものが違うのだから。でも、逆を言えば、そこができる男性は信頼されるし、もっと言えば、もてるはずだ。おしゃべりならいいって話じゃないけど、おしゃべりで気軽に御礼や褒め言葉が言える人は「もーぉ、軽いんだからー」とか言われつつ女性がまわりにいるような気がする、ってそんな話。

でもさ、これ読むと、女性はじゃぁ、男性に何をしたら喜ばれるんだろ?何をしたら信頼してもらえるんだろう?それが気を回すとかってことじゃなくて、エッチしたらいいんだとか、毎日黙々とご飯作ればいいんだとか、そういうことだけだとしたらこんな寂しい話はないんだが、そう感じてしまうあたりが女性脳なのかしら。